音に溺れる日々

音楽に溺れがちな主が、間違いないアーティストと音楽を勢いだけで語る場所

『三文小説』は常田大希の矜持と、井口との絆が描かれた歌である。

歌詞の意味に気づいた時、初めて曲として聴けた気がした。

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https://www.cinra.net/news/20201019-kinggnu

何度も何度も聴きました。

最初のうちは、ただ曲に圧倒され、なかなか耳に馴染まなかったです。

10回以上聴いてようやく歌詞について考える余裕が出てきました。

そこで歌詞を読み込んだところ、この曲は常田大希の矜持と、井口との絆が描かれた歌だということに気づきました。

以下に私なりの『三文小説』の解釈を記述します。

※この記事では、今までのSNSやインタビューの発言内容を元に、私が作り上げた人間像をベースに考察を展開します。実際の人間性、歌詞の真相は分かりません。

日本の音楽シーンを変えたい常田大希

まず前提について。

常田大希はKing Gnuのリーダーであると共に、millenium paradeというアーティスト集団の主催者でもあります。

常田は2020/5/13に、millenium paradeで『Fly with me』という曲を発表しました。

この『Fly with me』は全歌詞英語で、日本の大衆にはなかなかウケないような音楽性の曲ですが、常田を始めとするのmillenium paradeメンバーの猛烈な熱量によって作られたMVと、アニメ「攻殻機動隊」の主題歌になったことが話題を呼び、オリコン「週間 シングルランキング」1位を獲得しました。

これに対し、常田は以下のようにコメントしています。

こんなパンチのある音楽が日本でオリコン1位を取るなんて、まじでウケるよな。

音楽シーンを俺らでは無くあなた達が変えていってるんだよ。ありがとう。

―― 常田大希(King Gnu / millennium parade / PERIMETRON)

この発言から読み取れる通り、常田はmillennium paradeという集団を介して、自分が思う本当にカッコいい曲を発信し、日本の音楽シーンを変えようとしています。King Gnuはメジャーで売れるための位置付けであり、彼が根っこの部分で表現したい音楽は、millennium paradeにあるのです。

『三文小説』は、自らの矜持のためにKing Gnuと距離を置く決意をする常田と、その背中を押す井口の物語。

以上の前提を踏まえて、歌詞を見ていきましょう。

井口パートでは、井口が常田に語りかけています。

井口・常田パートでは、井口もしくは常田が心情を表します。

井口パート

この世界の誰もが 君を忘れ去っても
随分老けたねって 今日も隣で笑うから

怯えなくて良いんだよ そのままの君で良いんだよ
増えた皺の数を隣で数えながら

僕らの人生が 三文小説だとしても
投げ売る気は無いね 何度でも書き直すよ

誰もが愛任せ いつまでも彷徨う定め
この小説(はなし)の果ての その先を書き足すよ

音楽シーンを変えるため、常田はmillennium paradeでの活動比重を増やしたいですが、それが成功するかどうかは分かりません。

普通に考えれば、あれほどヒットしたKing Gnuの活動を止めてまで、他の活動をすることはありえません。多くの関係者から反対されたでしょう。

しかし、常田は自らの矜持のために、millennium paradeでの活動に重心を移すことを決意します。

このパートでは、そんな常田に対して、井口が語りかけます。

「もし大希のこれからの活動がうまくいかなくても、俺はずっと冗談言いながら隣で笑ってるよ。ビビんなって、そのままの大希でいいんだよ」と。

「もしKing Gnuでの活動が三文小説(たまたま一瞬売れて消えたアーティスト)だとしても、投げやりになんかならないさ、またやり直せば良いさ」と。

井口・常田パート

真実と向き合うためには 一人にならなきゃいけない時がある
過ちだと分かっていても尚 描き続けたい物語があるよ

あゝ
駄文ばかりの脚本と 三文芝居にいつ迄も
付き合っていたいのさ

あゝ
君の不器用な 表情や言葉一つで
救われる僕がいるから

このパートでは、常田が自らの決意と、King Gnuへの未練をこぼします。

常田が本当に表現したい音楽はKing Gnuではできません。だから一人になる(King Gnuから離れる)必要があります。彼自身ヒットしたKing Gnuから離れるなんてことは愚かだと分かっています

けれど、彼には描かなければならない矜持があるんです。

「あぁ井口とバカみたいな話をずっとしてたいな、お前の不器用な発言でよく救われていたんだよ」と、King Gnuと離れがたい気持ちをこぼしてしまいます。

井口パート

あの頃の輝きが 息を潜めたとしても
随分老けたねって 明日も隣で笑うから

悲しまないで良いんだよ そのままの君が良いんだよ
過ぎゆく秒針を隣で数えながら

King Gnuでの輝かしい日々と比べて、millennium paradeでの活動期間は常田にとって、先の見えない険しい期間となったでしょう。おそらく部屋に閉じこもり、まとも人とも話さず、ひたすら音楽に向き合う日々だっとと思います。

そんな時でも井口は、隣で冗談を言い、笑ってくれています。

このパートでは、そんな井口の優しさが分かります。

井口・常田パート

止めどなく流るる泪雨が 小説のように人生を何章にも
区切ってくれるから

愚かだと分かっていても尚
足掻き続けなきゃいけない物語があるよ

ここは常田の気持ちです。

King Gnuへの未練を涙を流しながら断ち切り、足掻き続けなければならない物語に進むことを決心します。

あゝ
立ち尽くした あの日の頼りない背中を
今なら強く押して見せるから

あゝ
僕のくだらない 表情や言葉一つで
微笑んだ君がいるから

井口のパートです。

おそらく井口は、常田がmillennium paradeでの活動に重心を移すことに一度反対しているのではないでしょうか。しかしその後、井口も俳優として自身の表現方法を磨くことを決意し、その上で、常田にも「自分のやりたいことをやって欲しい」と本気で思えるようになったのではないでしょうか。

自信が持てない常田に対して、今なら背中を強く押せる。

「だって、今の自分があるのは、しょうもない冗談で笑ってくれた君がいたからだから。」と。

King Gnuが無名の時から、辛い時も多くあったでしょうが、井口のしょうもないギャグに常田はいつも笑ってくれていた。井口はそれに何度も救われていたんだと思います。

だからこそ、この歌詞に対する井口の気持ちの込め方は一層強いです。

あゝ
駄文ばかりの脚本と 三文芝居にいつ迄も
付き合っていたいのさ

あゝ
君の不器用な 表情や言葉一つで
救われる僕がいるから

常田の井口への気持ちです。

あゝ
立ち尽くした あの日の頼りない背中を
今なら強く押して見せるから

あゝ
僕のくだらない 表情や言葉一つで
微笑んだ君がいるから

この世界の誰もが 君を忘れ去っても
随分老けたねって 今日も隣で笑うから

怯えなくて良いんだよ そのままの君で良いんだよ
増えた皺の数を隣で数えながら

井口の気持ちの繰り返しです。ここがこの曲のピークです。

井口の常田への感謝の気持ちが爆発しています。「くだらない」を強調しているのは、井口が決めたアレンジだと思います。

そして最後に「これからもずっと隣にいるし、結果はどうであれ、そのままのお前を表現しろよ。」と背中を押してくれているんですね。

改めて聴いて欲しい

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

歌詞に込められた意味、そこから浮かび上がる二人のエピソードを想いながら聞くと、最初に聴いた時とは比べ物にならないほど、感情に訴えかけてくるものがあり、井口と常田の歌い方にも納得感を感じるのではないでしょうか。

そしてタイトルを三文小説にしている部分に、常田の人生観が垣間見えていると思います。

普段ここまで歌詞について考察することはありませんが、それをさせてくるところに、King Gnuというバンドのパワーがあると思います。

素晴らしい曲をありがとうございました。

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